自民党大分一区から立候補する高橋舞子氏。彼女が党に提出した小論文が小学生が書いたもののようだと話題になっています。
どんな内容なのでしょうか。
経歴や甘利氏との関係についても調べてみました。
高橋舞子氏の小論文はどんな内容?
高橋舞子氏が党に提出した小論文はどんな内容なのでしょうか。
話題の小論文はこちらです。
〈私が日本のために貢献したいと思ったきっかけは、父親が見ていた政治討論番組です。出演していた大学教授がニコニコしながら日本を批判している姿を不思議に思いました。
引用元 デイリー新潮
当時小学生の私は、教授のお話しされている内容の是非はよく分かりませんでしたが、自分の国を悪く言う時に、どうして悲しい顔をするのではなく、嬉しそうにしているのだろうと戸惑ってしまいました。そして、私は絶対に日本を大事にするんだと決めました〉
記事には実際に高橋舞子氏が書いた小論文も掲載されていました。


33歳にしては幼く見える字体がより小学生感を出しているようです。
そして小学生の卒業文集のような、つたない文章が綴られています。
高橋舞子氏の経歴は?
高橋舞子氏は大分県山香町の出身。
東京都出身の父と山香町出身の母との間にできた3人兄弟の末っ子として生まれました。
中学からは中高一貫校の札幌聖心女子学院中学校に進学します。
実家を離れて寮生活をされていました。
このときに政治を志すことになったと高橋舞子氏は話されています。

大分から遠い北海道の私立学校に通えるということは、実家はお金持ちなのかもしれませんね。
高校は剣道部に入部されていました。剣道部に入ったきっかけは西郷隆盛さんに近づきたいという想いがあったと語っています。
ただこの部には男性もいたことから、高校は札幌聖心女子学院ではなく外部に出たのかもしれません。

大学は上智大学総合人間科学部教育学科(偏差値65)に進学。
台湾出身の金美齢さんが書かれた「日本人に生まれて幸せですか」という本を読み、「こんなにも日本のことを大事に思ってくれている台湾に対して、高橋舞子氏も日本人として何か恩返しをしなければならない」という気持ちになり、台湾へ交換留学をされています。
大学卒業後は松下政経塾にも通っていたようですが、一年で退塾したことから卒業はしていません。
その後、時事通信社に入社し2年働いた後、Bloombergで3年間政治部に所属し、記者として取材していました。
高橋舞子氏と甘利幹事長との関係は?

他の応募者はきちんとした論文形式のものを出してきたにも関わらず、高橋舞子氏は小学生の卒業文集のような作文で一次の書類審査を通過。
そして面接も通過し、公認候補に選ばれました。実は裏ではすでに高橋舞子氏に決まっていたとのこと。そこには記者時代から関わりのあった甘利幹事長の猛プッシュがあったそう。
経済系の外国通信社で働く女性ジャーナリストを気に入ったのが、いかにも甘利幹事長らしいと関係者は話しています。
高橋舞子氏は結婚している?

高橋舞子氏は29歳のときに記者仲間であるアメリカ人、シスロ・コナー氏と結婚しています。コナー氏は徳川家康の外交アドバイザーである三浦按針さんを主人公にした「Syogun」という本に憧れて、日本に来られたそうですよ。
コナー氏は勤めていた新聞社をやめ、高橋舞子氏を支えるたために大分に引っ越しています。
大分に翻訳会社を設立、大分商工会議所の会員にもなっています。

まだ事務所もかまえておらず、従業員もいない小さな事務所だそうですが、選挙の結果に関わらず大分に根付き、大分の経済を支えていきたいという思いから設立されたそうです。
現在、二人の間には3歳になる男の子がいます。

会社員時代には「子供ができると夜の取材ができなくなり、記者としてやっていけるのか?」と悩んだこともあったそう。
今も記者時代と同じように忙しい日々を過ごされているのでしょうが、息子さんの幼稚園に送って行くのをコナー氏、お迎えを高橋舞子氏が担当し、うまく分担されているそうです。
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